夢のアト - 4
「聡史はスタジオミュージシャンとして食いつないでるって。」
聡史はメンバーの中で、唯一バンドを掛け持ちしていた。小柄な体つきをものともしないベース弾き。
体全体から繰り出されるパフォーマンスは、しばしばフロントマンの達樹を凌駕することもあった。
「解散が決まったとき、裏方での道を色んなツテを頼って切り開いてもらったんだってさ。あいつの演奏技術、他のバンドからも一目置かれてたしね。」
それだけでなく、彼はピアノも弾けたため、曲によってはキーボードを担当することもあった。
ベースにするか、キーボードにするか。それは彼の一存で決めていたという。
それだけでなく、ギターも弾けたらしいが、直人が辞めた後まで黙っていたらしい。
「ベースほどではないけど、コード押さえる程度だったら弾けたんだって。でも、聡史の周囲はギター弾きばかりだったから、バンドを組むためにベースを選んだんだってさ。」
聡史は直人が加入する1年前、達樹によって連れてこられた。本人曰く、スカウトしたとのこと。しかし、聡史は条件を出した。一つは、もう一つのバンドとの掛け持ちを許可すること。もう一つは、作詞作曲をさせること。
この条件を当時のメンバー、特に達樹は渋々承諾した。
しかし、聡史が曲作りに加わったことで、幅が広がり、デビューに大きく近づいたのは、たとえ結果論であったとしても、まぎれもない事実である。
「達樹は腕の良いベーシストを呼んだはずだった。作詞作曲は達樹の専売特許だったからね。でも、聡史以上のベース弾きが見つからなかったから、仕方なく条件を飲んだ。」
「今だから言えますけど、聡史君が作ってた曲、それまでの曲になかった温かさがあって、好きでした。」
それは難解な旋律にしないこと、奥行きと幅を持たせること。曲作りにおいて、聡史はこの2つを常に心がけていた。一小節に細かな音符を詰め込まず、音の高低を激しくしない。にもかかわらず、単調で似たような曲調にならなかったのは、彼の感性がよかったからだろう。
「聡史が初めて達樹から曲をもらったとき、作曲方針について進言したそうだよ。喉を潰してもいいのかって。」
達樹は聡史と対照的に、難解で激しい曲しか作らなかった。加えて、曲の一部に必ず無理な高音を入れていた。にもかかわらず、喉に負担のかかる歌い方をしていた。
最悪、声が出なくなるかもしれない。聡史はそれを危惧していたのである。
「それを達樹は聞き入れなかった。でも、聡史が忠告した通り、解散する頃にはキーを下げなければ、まともに歌えなかったそうだ。この間会ったとき、聡史はそれを一番悔やんでたよ。」
「私もそれは気にしてました。辛いものは好きだし、お酒も煙草も辞めないし。たまに喉を嗄らしていたし。聡史君も心配してたんですね。」
デビュー後、作曲は基本的に聡史が担当した。それは周囲にいた人間が決めたことで、彼等はそれに従うしか道がなかった。
「周りはわかっていたんだろうな。一番の要になるのは聡史だって。それでも、マンネリ化を防ぐために、聡史以外にも曲は書かせてたって。」
「それじゃあ、あの、窪田さんも?」
直人はわずかに押し黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「恭平はデビュー前に辞めた。その代わり、事務所が年の近い、新しいギタリストを用意したんだ。」
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