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「待てよ。」
レジを通過する直前で捕まった。
左肩に指が食い込む。
「お前の席はこっちだろ?」
右手の人差し指で示されたのは、さっきまで座っていたあの席。
しかも、アイスコーヒーが半分減っている。
気持ち悪い。
敢えて言葉にはせず、冷ややかな視線を飛ばす。
「悪いねぇ。口つけてないみたいだから飲んじゃった。」
"幸穂"ならその場で謝罪を要求する。
今は藤下優月という別人。
赤の他人に感情をむき出しすることに価値はない。
ワタシは女優。
「どうぞ、ご自由に。」
グラスに対して一瞥をくれた後、肩にかかった掌を振り払う。
「何するんだよ。なぁ、昔は一昼夜を供にした仲だろ?」
よくも抜け抜けと。実際、夜遅くまで一緒にいたのは、ライブの打ち上げの時だけ。
二人きりだったのは、休日の昼間しかなかった癖に。
でも、この場では初対面の人違い。
ワタシは女優。
「一昼夜・・・ねぇ。職業柄、色々な男と昼夜を問わず会っているの。仮に貴方と顔を合わせたことがあったとしても、いちいち覚えてなんかいられないわ。」
右足を踏み出す。
続けて左足も前へ運ぼうとした瞬間、体のバランスが崩れた。
その場に倒れこむ。
何が起こったのか、頭の整理がつかない。
上体を起こして見上げる。
男の腕が真っ直ぐに伸びている。
突き飛ばされた。
傍にいたアルバイト店員は、何が起こったのかわからず、オロオロしている。
「いい加減にしろよ。認めろよ。俺をバカにするなよ。」
忘れていた。
あまりにも思い通りに行かないと、癇癪を起こす。
当時、バンドのメンバーに当たることさえあった。
逃げなきゃ。
でも、ここで事務所の人が来るまで何とかして時間を稼がなければ。
こんな些細なことで、今までの努力を棒に振りたくない。
私は今の好機をすがり付いてでも守る。
そのためには手段を選んでいられない。
ワタシは女優。
「人目も気にせずに力で制圧?貴方がしたいのは、嘘の自白強要?」
ゆっくりと立ち上がり、髪を掻き揚げる。
随所に残る痛み。我慢すれば何ともない。
「通報、しますよ。」
「やれるものならやってみろよ。その名前が本当ならさぁ。」
逆効果。怯むどころか、さらに吠える。
本当に警察に連れて行ったら、何が何でも本名を名乗ることになるだろう。
ちょっとした脅しのつもりが、完全に不利になってしまった。
形勢逆転の一手が出てこない。
顔がこわばる。
正面にいる、あのにやけた顔つきから目を逸らしそうになる。
逸らしたら、真実を認めたことになる。
音を立てて崩壊する未来は絶対に嫌。
それを突きつけられるのが怖い。
「そこまで。入り口でウチの子いじめるの、やめてくれない?」
入り口の自動ドアにスーツ姿の男。
やっと来てくれた。
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