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2008年2月

カイラク - 1


「動機?半径30cmの外で起こっている平和を壊したかったから。」


飛散するガラス。
落下する欠片。
悲鳴を上げる主婦。
泣き叫ぶ子供。

平日白昼、雑貨店のガラス食器売場を襲撃。

右手には現地調達の綿棒。
別の売場からせしめてきた。

陳列されたワイングラス。
胸元ほどの高さに、隙間なく並べられている。
店員の並々ならぬ努力の賜物か、奥から手にとって見定める客がいないだけか。
店の事情なんて、今はどうでもよい。

幸い、周囲に人はいない。

手前の通路をバッターボックスに見立てる。
両足を肩幅程に広げ、綿棒を両手できつく握り締める。
ゆっくりと深呼吸した後、大きく一振り。

棒先がグラスに触れる。
あるものは脚が折れ、隣のグラスを巻き添えにして倒れる。
芸術からずっとかけ離れたドミノ倒しが至る所で発生する。
また、あるものは、十分に凶器となり得る鋭利な角を現す。
仮にワインを注げたとしても、口を付けることはできない。

他にも、細かく砕かれた小さな欠片が扇状に軌跡を描く。
蛍光灯に反射して煌く様に、思わず見とれる。

同時に、幾重にも連なった不協和音が店中に響く。
周囲の客が異常に気づき、叫び声を混ぜる。

日常が壊れた。
平穏が失われた。

全て、自分の両腕が変えた。


思い描いていた通りの展開。
自然と口元が綻ぶ。


突然の出来事に慌てふためく客。
観察しているだけで快感すら覚える。


騒ぎを聞きつけた店員が、すぐさまこちらに走ってきた。


反射的に足が動く。
今でも認めたくないが、「悪いことをしている」という本能が働いたのだろう。


手にしていた綿棒を足元に投げ捨て、その場を走り去った。

カイラク - 2

計画を思いついたのは2週間前のこと。

何も起こらない日常。
進展のない生活。

平凡すぎる毎日に嫌気が差す。


そんなある日、突然閃いた。
日常を壊すストーリー。
主役はこの僕。

悪魔の囁きなんて安いものじゃない。
刺激が足りない中で生み出された名案。

それと同時に、プロットもすんなりと出来上がった。


標的にしたのは、2つ先の駅前にある、地元タウン誌で紹介される程度の雑貨店。
しかし、一度たりともこの店に入ったことがない。

そこはガラス張りのテナント。
外にいても、フロアの配置がよくわかる。
ゆったりと設けられた通路以外は、様々な種類の雑貨が整然と置かれている。
だからといって、お客に緊張感を与えているわけでもない。
空間利用術に長けた人間が設計したのだろう。

置かれているのは、明らかに女性が手にとって買って行きそうな商品ばかり。
お洒落と無縁な人間には、全く入る余地のない空気を匂わせている。

また、店員はバイトらしき若い女性が2人。

臆病者な僕が選んだのは、少しでも成功する見込みのある要素が詰まった場所。

別に店側に過失があるわけではないが、偶然にも望んでいた条件と一致していた。
それだけの理由で、この店を選んだ。


クローゼットの中で一年以上眠っていたダウンジャケット。
スキー用の帽子。グローブ。サングラス。
全て引っ張り出す。

当日の行動を思いつく限り脳内の原稿用紙に留めては、何度も推敲する。
都合の良い展開が仕上がる度に、含み笑いが漏れる。


このとき既に、「タメライ」の四文字は、脳内から抹消されていた。

カイラク - 3

駅までは一直線。
改札めがけて駆け抜ける。

イメージの中では俊足のつもりだった。
現実は、描いていたものとは似ても似つかない鈍足。
ダウンジャケットの裾が邪魔で、足を振り上げることができない。
それから、息切れから来る喉の痛み。
鉄の味さえしてくる。

やっとのことで駅構内に滑り込む。
しかし、息を整える暇はない。
予め購入していた帰り分の切符をポケットから取り出し、自動改札に突っ込もうとしたその時。

不意に、袖口を勢いよく引っ張られる。
切符を掴んだまま、後ろに倒れかける。

振り返ると、見知らぬ女性が立っていた。
口元に表情はなく、両目とも僕の瞳を追っている。

切符を持った右手の手首に熱を感じる。

急に全身が強張る。

彼女が僕の何を知っている?
今ならまだ間に合う。
そのためにはこの手を解かなくては。

何度も自分に言い聞かせる。
しかし、体が言うことを聞かない。
次第に焦りが生まれる。

その隙に、今度は黒い手帳をちらつかせた。
巡回中の私服警官。

シナリオには出てこなかった人物の乱入。
そんな展開、想定なんてしていない。
できるわけがない。

改札の向こうには、駅へと続く階段が見える。
あと数秒早く辿りつけていたら、今頃は悠々と電車のシートでくつろげたのに。

右腕を左右に揺らす。
血の通った枷がそれを邪魔する。
揺れを諌めるために、締め付けをきつくされる。

痛い。
跡ができていてもおかしくない。
明らかに自分よりも小柄なのに。力があるとは思えないのに。


遠くで発車を告げるベルが聞こえる。
時刻表通りなら、きっと、自分が乗る予定だったもの。

今の気分を例えると、一番乗りでゴールテープを切る直前で、監督に手をかけられたマラソン選手のよう。
大きく肩を落とし、項垂れ、その場に蹲る。

仮に、今、この女刑事の手を振りほどいて改札を抜けたとしても、狭い構内の中、追走をかわすのは至難の業。ここで終わりか。


後のことは覚えていない。
きっとあの女に引っ張られるようにして警察署に連れて行かれたのだろう。

カイラク - 4

拘留されていた間、何をしていたのか、殆ど記憶にない。
が、数日の間に、一般人へと戻っていた。

あの雑貨店はどうなっているだろうか。
興味本位から、近くまで行ってみることにした。


とはいえ、店内に堂々と入る勇気はない。
通りを挟んだ向こう側から、さり気なく様子を伺う。
フロア内の配置は少し変わっていたが、客の入りを考えると、それほど大きく影響はでていないようだ。


ふいに、取り調べを受けていたときのことを思い出す。

見当違いなことばかり吐く初老の刑事に、幾度となく動機を問われ、咄嗟に噛み付いた一言。

「動機?半径30cmの外で起こっている平和を壊したかったから。」

すぐさま、思い切り頬を叩かれた。

「君が壊したのはあのお店でも何でもない。君自身だ。」

一世代前の、熱血モノのドラマか。暑苦しくて苦手だ。
息巻く刑事を見るのも鬱陶しくなり、終いには反省しているふりを突き通していた。


無駄な時間だけを費やした取り調べの後、一緒にいた若い刑事に言われた言葉。
今も強烈に脳内を刺激する。

「君はさっき『平和を壊したかった』と言ってたけれど、そんな小さなことでは壊れたりしないよ。無意識に元に戻す力を持っているからね。また同じことをするのは勝手だけれど、君みたいな中途半端な論理じゃ、現行犯でなくてもすぐに捕まえるさ。」


それから押しの一言。

「次は容赦しない。」


若い刑事の言葉は十分に的を射ていた。
店の姿を目の当たりにして、やっと理解できた。

僕がしたことがあまりにも小さく、馬鹿げていたことを。


店員と目が合った。
そんな気がした。

途端に悪寒が全身を襲う。

そろそろ帰ろう。
爪先を駅へと向けたとき、背中を強風が後押しした。

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