有りの儘
「もし1回だけ時間を遡れるなら、生まれる前の日に戻りたい。」
いつしか彼女が言っていた。
そのときは冗談としか受け取っていなかった。
「どうして?そんなに昔に戻ってどうするのさ。」
「どうせなら最初からやり直したいじゃない?」
彼女はいつも中途半端になることを嫌がる。
これもその1つとばかり思っていた。
しばらくして、彼女にプロポーズした。
彼女はその場で泣いて喜んでくれた。
これを機に、二人で暮らし始めた。
僕の実家にも彼女を連れて行き、彼女も僕を実家に招待してくれた。
数日後の夜、彼女の母親から電話があり、驚くべき事実が伝えられた。
彼女が不登校になっていたこと。昔付き合っていた男に騙されて人間不信に陥っていたこと。仕事の失敗から鬱になっていたこと。
僕が始めて会ったときの彼女は、そんな経験をしていたことなど微塵も感じられなかった。
彼女が話さなかったのは無理もない。きっと、誰も彼女のことを知らない環境でやり直そうとしていたのだろう。
最後に電話口で、彼女を裏切らないでくれと懇願された。
僕は全てを受け止めた上で、一言だけ力強く返事をした。
「はい。」
電話を切った後、ようやく彼女が言っていたことが理解できた。同時に、軽く受け止めてしまったことを悔やんだ。
あの時、彼女は本気だったんだ。
思い返せば、彼女は全く自分の過去を話すことはなかった。
全てを話したら、三行半を叩きつけて逃げるとでも?もしそんな答えが返ってきたとしたら・・・。
彼女は僕をどの位信用しているのだろう。
考えれば考える程、やるせなくなる。
そこへ、彼女が仕事から帰ってきた。ここ最近、仕事が思うように進まず、残業続きだと言う。
夕飯の準備をしようとキッチンに向かう彼女。
いつも通りの光景なのに、途端に胸が苦しくなる。
気づくと、彼女を両腕で包んでいた。
「どうしたの?」
胸に顔を押し付けられたまま、彼女が尋ねる。
「気分。」
咄嗟に出てきた言葉でごまかす。
けれども、本当は僕なりの決意表明。
彼女を絶対に失望させない。
今日は朝から雪がちらつく。
「晴れてほしかったのに。」
窓の外を見た途端、ぼやく彼女。
二人で決めた小さなチャペル。
ここで、僕らは式を挙げる。
式場に向かう途中、区役所にも寄ってきた。
手続きが終わった頃、雪は止んでいた。
そして、もうすぐ純白の彼女を迎える。
これからは、今日があの一日になりますように。
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