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2007年12月

Tumbling Tube - 1

雲ひとつない新月の夜。閑静な高級住宅街。
一角にある、一際目立つ新築の家。

その二階では、ベランダから侵入した若い男が粗探しをしていた。
クローゼット、鏡台、机。
棚や引き出しを開けては目当てのものだけを取り出し、手際よく袋に詰める。

その傍らでは、ベッドの中で20歳位の女が、寝息を立ててぐっすりと眠っている。
この家の一人娘。両親は旅行に出かけており、ここ数日は彼女が家を預かっていた。
にもかかわらず、今夜は酒を大量に飲んでおり、多少の物音では目が覚めない。

粗方引っくり返したところで、一杯になった袋を肩にかける。
そのまま逃亡するかと思いきや、部屋を出る寸前で体の向きを変え、ベッドに近づくと、未だ安心して眠りに着く女のおでこを小突いた。

「痛ぁ。」
甘ったるい声を出して、両目を擦る。
体内に酒が残っているのか、知人と思しき名前を挙げながら、眼前に作られた人の影に向かって語りかける。
だが、影の正体を捉えた瞬間、両目を見開き、息を飲み込んだ。
恐怖で全身が硬直している。抵抗することも、助けを呼ぶこともできない。


「7年ぶりだね。藤野絵美香さん。僕のことなんて覚えていないだろうけど。」

絵美香と呼ばれた女は首を左右にぎこちなく動かし、知らないと動作で訴えた。

「やっぱりね。加害者は被害者のことをすぐ忘れるって言うけど強ち嘘じゃないね。西島佑一って言えば通じる?」

彼女は尚も首を横に振り続ける。両目から大粒の涙をこぼす。

「中学に入学してすぐ、盗難騒ぎの犯罪者扱いしたこと。あの事件のせいで、僕は退学になった。せっかく入学した名門私立だったのにさ。それに、僕が辞めた後、冤罪だってわかったんだってね。」

彼女は首を振るのをやめ、目を背けようとした。
西島は上半身を傾けると、口元に右手を当てて捻り、顔を正面に向けた。

「でも、君を恨んでいるのは僕以外にもいた。今日は復讐の一部を手伝いにきた。」


肩にかけていた袋を彼女の視界に入る位置で持ち上げ、冷たく言い放つ。

「これ、君がいろんな人から取り上げたもの。君にとってはもう価値のないものかもしれないけれど、その人にとっては宝物ってものまである。元々はその人のものなんだから、返してもらうよ。」


西島はベッドから離れると、ベランダに向かって歩き出した。部屋を出る直前、先ほど詮索したばかりの机に目を落とす。

「これ・・・。」

足を止めたまま、筒を手に取る。
中には綺麗に色づけられたジェル。
筒の中央には、穴が3つ開いた仕切り。そこを、細くなったジェルの筋道が下の筒へと流れて溜まっていく。
再現性のない、何とも不思議な光景。ずっと見ていても飽きない。
しかしながら、肝心の名前がわからない。

引き出しに気を取られて、机上にあまり意識を向けていなかったのか。

「そ、それは盗らないで。」
掠れと震えが入り混じった声。愉快犯ならそれを快楽に感じるかもしれない。
しかし、職業柄、彼自身はそういった感覚を持ち合わせてはいなかった。

「これ、大切なんだ。じゃあ、もらっていこう。」
依頼を受けたものではないが、興味が沸いた。
一つはこの筒に。
もう一つは、彼女の今後の反応に。


ベッドの上で狼狽する彼女を尻目に、西島はそっと部屋を抜け出す。
軽い足取りでベランダに出ると、マジシャンが十八番の手品を見せるが如く、自らの姿を煙に巻いた。

Tumbling Tube - 2

茫然自失のまま、絵美香はベランダに出た。
周囲を見渡したところで泥棒の行方はわからない。
夜風が肌を刺激するおかげで、徐々に冷静さを取り戻す。同時に、事実を受け入れる余裕が生まれた。

諦めて部屋に戻り、もぬけの殻と化した部屋を一望する。

あの筒は、お土産として両親からもらったもの。
ただの置き物と見なされるわけにはいかない。


そういえば。
あの男が自ら名乗っていたことを思い出す。

ニシジマユウイチ。

一音一音声に出してみる。記憶の糸を手繰り寄せる。

中学入学当時。
わずか1ヶ月で退学した、右隣の席にいた男。
私の財布が消えた。
彼の机から見つかった。
結果、彼は学校を去ることとなった。

彼の退学が決まった後、同じクラスの別の男が、床に落ちていた財布を西島の机に突っ込んだことが発覚した。当時、騒ぎが大きくなりすぎて、なかなか言い出せなかったとのこと。その日の放課後、担任と一緒に謝罪をしに西島家を訪れたところ、門前払いを食らったと聞いた。
しかし、騒ぎを大きくした当の本人は、その間何もしていない。
私は悪くない。私は騒ぎに巻き込まれただけ。

終始被害者を貫いた。

それを今更、一体何のために目の前に現れたのか。
今わかっているのは泥棒の本名。それだけが唯一の希望。

絵美香はしばらく頭の中で様々な試行を繰り返した後、部屋に置かれている電話の子機に手を伸ばすと、「1」「1」「0」の順に、一つずつ確実にボタンを押した。

「もしもし、警察ですか?泥棒に入られました。」

Tumbling Tube - 3

深夜にもかかわらず、警察が押しかけてきた。
盗難が確認されたのは、絵美香の部屋だけらしい。
この日は簡単な現場検証だけで、聴取は翌日に繰り越された。

「だから、西島佑一って名乗ってたんです。ここに写ってる、この男。」
入学式の集合写真に爪を叩きつけるように、何度も指差す。
写真の隅に写る、野暮ったい顔をした、肉付きの良い少年。
昨晩現れたのは、体操の選手かダンサーを髣髴させる絞った肉体に、精悍な顔つき。
写真の彼がそのまま成長した姿とは到底思えない。

だが、西島と絵美香の接点はこの写真一枚のみ。彼女が持ち得る、唯一の資料。
にもかかわらず、刑事の発言は、彼女の期待を裏切るものだった。

「最近話題の泥棒ね。本名と写真の情報提供はありがたいけれど、あまり期待できないよ。本名なら他の被害者の前でも名乗っているけれど、なかなか捕まらない。何せ、自分の欲とは関係ないところで動いているからね。おまけに予告もないから、出現場所に当たりもつけられない。」

「とにかく私は盗まれたものを返してほしいの。御託を並べる暇があったら、探し出してちょうだい。」
間髪入れずに一回りは上と思われる刑事を怒鳴りつけると、そのまま警察署を後にした。


数日後、絵美香の携帯電話に吉報が飛び込んできた。
「重要参考人ですか?今から行きます。」


軽やかな足取り。
胸を躍らせる。

しかし、通されたのは、取調室の様子を一望できる通路。
聞けば、「本人かどうかを確認してください。」とのこと。

本人の襟首を掴む暇も与えられない悔しさを顔に出す。
口や態度で訴えれば、追い返される。もどかしさを胸中に押し隠し、参考人が現れるのを待った。

数分後、担当の刑事に連れられた男が取調室に入る。
最初は俯き加減だったが、絵美香の存在に気づき、わざと目を合わせてくる。

毒や覇気のない瞳。それ以外は昨日と同じ。以外とすんなり見つかったんだ。


部屋に集まった一同が着席し、いよいよ取調べが始まる。
絵美香も固唾を飲んで、行方を見守る。

「刑事さん、いつもご苦労様。」
開口一番、全く予想していなかった一言が飛び込んできた。

「悪いけど、僕は佑一じゃない。」

絵美香に衝撃が走る。
周囲の刑事は、顔色一つ変えることなく、自分の役割をこなしている。
同じことが何度も繰り返されているのか、顔からは諦めの色さえ伺わせる。

「僕は双子の弟。浩介。僕のこと、覚えてる?」
今度はこちらに向かって手を振ってきた。すぐに刑事に窘められる。

「中学、僕は違うクラスだったから、知らないかもしれないなぁ。二卵性だったし、兄貴はすぐ辞めちゃったし。」
ここで刑事の顔を一瞥し、咎める気がないことを確認すると、再び舌を滑らせる。

「そうそう、兄貴、僕の知らないところで整形したみたい。それも僕をベースにさ。体は成長と共に絞られたってことにしておこうかな。おかげで事件が起こる度に呼ばれる。ある意味、僕も被害者だ。」

同じ顔。同じ話し方。あのときの男と違うとわかっていても、いらいらする。
しかし、その怒りを誰にもぶつけられないまま、彼女は再び警察署を後にした。

Tumbling Tube - 4

「これですよね?」
最後の1人の元へ、取り返した品を渡す。

萎んだ布袋を抱えながら、人気のない住宅地を歩いていた。
しばらく足を進めていると、反対方向から、見覚えのある女がやって来た。

「あ。」

そういえば、ここはあの女の家の近く。
西島本人としては、一番会いたくない人間だった。
相手もこちらに気づき、大慌てで走り寄って来る。

「ちょっと、待ちなさい!この泥棒!」
金切り声が響く。泥棒であることに間違いはないが、ここで言われる筋合はない。
殺気立った顔で睨んでいる。こういうときこそ冷静に応対しなくては。

「泥棒だなんて人聞きが悪いなぁ。何か用?」
とぼけた振りをして、動揺を誘う。

「液体版砂時計みたいになってるあの筒。まだ持ってるのなら返して。」
至近距離で十分届くにもかかわらず、恨みの篭った声で叫ばれる。

「この筒の名前も知らない癖に。どうせ僕が手にするまで愛着すら持っていなかったんだろ?」

その発言に、彼女は何も言えずにひたすら西島を睨みつける。
目の前の相手を打ち負かす一言を模索しているようだ。

好機。すぐさま筒を袋からつかみ出すと、さらに畳み掛けた。
「これ、ウーズチューブって言うんだって。さっき、液体版砂時計って言ったけど、落下速度は温度に影響されるから、時計になんかつかえるわけない。鑑賞用。それでも大切かい?」

「大切よ。だって、両親からもらったものだもの。」
予想通りの答え。ひねりもなく、そして、つまらない。

「ここに君にとって大切だと言い張るものはある。だから僕は奪った。けれども君が僕から奪ったものはここにない。」
眉をひそめ、首を傾げる。あからさまな態度。答えを期待するのはやはり無謀だったか。

「中学生活?未来?」
「言うと思った。あの後に入った学校は居心地よかったから、何とも思ってない。」
小さく息を吐く。どこまで落胆させるのだろう。

「僕が君を許す権利。」

大きく息を吸い、気の高揚を抑える。

「一度目は事件が起こったとき。二度目は真相がわかったとき。三度目は僕が君の部屋に入ったとき。特に三度目なんて、僕が去ってからまずしたことは、警察への通報だ。自分も過去に人のものを盗った事実は棚に挙げてさ。それを見て確信したよ。君は自分しか見えていない。君に謝ってもらう気は失せた。」

沈黙。言い返せないでいるといった方が正しいか。
眉がつり上がっている。ここまで言えば、もう十分か。

「これ、もう用済みだから返すわ。」

手に持っていた筒を投げる。筒は大きな弧を描き、彼女の手の中に納まった。

「それじゃ、もう会うことはないと思うけど。」
目をあわすことなく、呆然と立ち尽くす彼女の横をすり抜ける。
そのまま曲がり角を折れ、彼女の視界から姿を消した。

Tumbling Tube - 5

「あれ?兄貴、来てたんだ。」
玄関から声が聞こえる。
迎えるのは、瓜二つの顔を生まれながらに持った弟。

「一仕事終えたからね。警察にはもう呼ばれた?」
「今日ね。それにしてもあの女、中学のときから変わってないね。」

ジャケットを脱ぐのを見計らって、わずかながら厚みのある封筒を差し出す。

「報酬。っていうか、情報料。人数が人数だから、意外と儲かったよ。それにしても、あの女、かなりの人間から物を取り上げてたんだな。おまけに罪悪感もなさそうだったし。」

浩介は封筒を受け取り、中身を確認すると、バッグの奥底に隠した。
それから、リビングの片隅を指差す。

「そうそう、ウーズチューブって言ったっけ?あれ、見つけたよ。売ってるところがなかなかなくて、苦労したけど。」

棚の上では、中身のジェルが筒の下側に落ちきったウーズチューブが置かれていた。
その姿は、まるで佑一に気づかれることをひっそりと待っているかのようだった。

「あ、さんきゅ。お前から名前聞いてすっきりしたのはいいんだけどさ、あれ見てると、自分の半生そっくりなんだよなぁ。」

「どの辺が?」
発言の真意を問いかけながら、徐に筒をひっくり返す。

「これって、あと数秒あれば中身が落ちるってところで、ついつい逆向きにしちゃうだろ。」
流れ落ちる液体に視線を注ぎながら、言葉を続ける。

「それが似てるんだ。おかげでいつも最高と最低のラインを経験することなく今に至ってる。」

「そんなことない。そんなことは・・・。」
言葉に詰まる。
それを隠すように筒に手を伸ばしたが、触れる直前で手を引っ込める。息を飲み込んだまま、音に乗せて吐き出す瞬間を伺っている。
弟の様子などお構いなしに、兄の話は尚も続く。

「中学も難関を突破したところで退学。でも、転校先では濡れ衣を着せられた可哀そうな男として受け入れてくれた。事件のせいで体重が激減したことが功を奏したようだ。それから、高校で始めた体操部では、大会で入賞できる力を付けた。なのに、3年の大会直前で怪我して離脱。一生ものの怪我じゃなかったけど、大学への推薦話は消えた。そして卒業後は表舞台から姿を消す。で、今は、弟の情報収集能力と、自分の身体能力を活かして泥棒家業。」

「盗んでいるんじゃない。僕らは依頼されたものを取り返しているんだ。」
捲くし立てる兄を制止するように、浩介は語調を強めて訂正する。

佑一はしばし考え事をした後、弟が考えもしなかったことを言い出した。
「それも、そろそろ潮時。復讐まがいも終わった。今まではうまく行ってたけど、嫌な予感がする。最悪、二人とも監獄行きだな。」

佑一は筒に手を差し出すと、まだ半分も落ちていない筒を即座に反転させた。
勢いをつけて、机に置く。プラスチックと木がぶつかり、硬く高い音が部屋中に響く。

「だから、近いうちに鞍替えする。何かは決めてないけど、自分で転がすタイミングを決めて、良い方に導く。」
もう一度筒を握り締め、手の上で転がした後、勢いよく打ち付ける。

筒の中身では、半分に割れた液体が奇妙な曲線を描き、下側の筒へと流れ落ちている。

有りの儘

「もし1回だけ時間を遡れるなら、生まれる前の日に戻りたい。」
いつしか彼女が言っていた。
そのときは冗談としか受け取っていなかった。

「どうして?そんなに昔に戻ってどうするのさ。」
「どうせなら最初からやり直したいじゃない?」

彼女はいつも中途半端になることを嫌がる。
これもその1つとばかり思っていた。


しばらくして、彼女にプロポーズした。
彼女はその場で泣いて喜んでくれた。


これを機に、二人で暮らし始めた。
僕の実家にも彼女を連れて行き、彼女も僕を実家に招待してくれた。

数日後の夜、彼女の母親から電話があり、驚くべき事実が伝えられた。
彼女が不登校になっていたこと。昔付き合っていた男に騙されて人間不信に陥っていたこと。仕事の失敗から鬱になっていたこと。

僕が始めて会ったときの彼女は、そんな経験をしていたことなど微塵も感じられなかった。
彼女が話さなかったのは無理もない。きっと、誰も彼女のことを知らない環境でやり直そうとしていたのだろう。

最後に電話口で、彼女を裏切らないでくれと懇願された。
僕は全てを受け止めた上で、一言だけ力強く返事をした。

「はい。」


電話を切った後、ようやく彼女が言っていたことが理解できた。同時に、軽く受け止めてしまったことを悔やんだ。
あの時、彼女は本気だったんだ。


思い返せば、彼女は全く自分の過去を話すことはなかった。
全てを話したら、三行半を叩きつけて逃げるとでも?もしそんな答えが返ってきたとしたら・・・。
彼女は僕をどの位信用しているのだろう。
考えれば考える程、やるせなくなる。


そこへ、彼女が仕事から帰ってきた。ここ最近、仕事が思うように進まず、残業続きだと言う。
夕飯の準備をしようとキッチンに向かう彼女。
いつも通りの光景なのに、途端に胸が苦しくなる。
気づくと、彼女を両腕で包んでいた。

「どうしたの?」
胸に顔を押し付けられたまま、彼女が尋ねる。

「気分。」
咄嗟に出てきた言葉でごまかす。
けれども、本当は僕なりの決意表明。
彼女を絶対に失望させない。

今日は朝から雪がちらつく。
「晴れてほしかったのに。」
窓の外を見た途端、ぼやく彼女。

二人で決めた小さなチャペル。
ここで、僕らは式を挙げる。
式場に向かう途中、区役所にも寄ってきた。
手続きが終わった頃、雪は止んでいた。


そして、もうすぐ純白の彼女を迎える。


これからは、今日があの一日になりますように。

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