strange class
あれは、秋晴れの爽やかな午後のことだった。
昼休み終了5分前を告げるチャイムが鳴り響く。
大急ぎで階段を駆け上る男子生徒が1人。
彼の名前は北見。この高校の3年生。
教室は校舎の最上階。次のチャイムまでに駆け込まないければ、遅刻扱いにされてしまう。
この時期は些細な行動が進学に影響する。教師は目を光らせ、生徒は神経を尖らせる。
最後の一段に到達し、そのままの勢いを保ったまま、廊下を駆け抜ける。
廊下にはわずかながら人の往来はあるが、見たところ教師はいない。
全ての扉が閉じられ、教室の中を窺い知ることはできないが、騒ぎ声が聞こえる。おそらく先生は来ていない。
まだ間に合う。
彼の席は一番前の真ん中。
教室の前扉を勢いよく開け、両足を板張りの床へと踏み出した。
しかし、2歩進んだところで動きを止める。
扉の先は信じがたい光景が広がっていた。
教室の窓際に逃げまとい、怯える女生徒と、それを追い詰める二人の男。
白目を剥き、蒼白した顔をしているが、同じクラスの山川と藤田だ。
男は手当たり次第に物を投げている。
あまりの非日常的な展開に、北見は扉口で突っ立ったまま、事の成り行きを見ていた。
襲うには敵の数が多すぎると悟ったのか、しばらくすると、彼らは諦めて教室の後ろ扉から出て行った。
すかさず、後ろ扉付近にいた数人が扉をピシャリと閉める。
その音を聞いて北見は我に返り、思わず背中にある扉を閉める。
簡易的な閉所空間になったことで、中にいた者が落ち着きを取り戻す。
興奮が収まったところで、北見が口を開く。
「一体、何があった?」
全員が彼を味方と悟ったところで、銘々が事の顛末を口にし始めた。
話をまとめると、原因はわからないが、昼休みに教室にいなかった数人が教室に帰ってくるなり、おかしくなりだしたらしい。
その後、すぐさま廊下の徘徊を始めた者もいれば、先ほどの彼らみたいに襲ってきた者もいる。
壁伝いに聞こえてくる悲鳴から、どうやら、他のクラスでも同じことが起こっているようだ。
北見が教室に入る前、廊下に不審な人影はなかった。今は他の階や校舎に行っているということか。
すると、青ざめた顔をした代田がなだれ込むようにして帰ってきた。
「ソンビウィルスに感染した。」
「ゾンビ?」
「あぁ、1年の女共がそう騒いでんだよ。ゾンビみたいな形相だからって。」
震える体を押さえ込むようにして、自分の席に座る。
感染した代田を目の前にして、女子生徒を中心に教室は再びパニックになった。
「打開策はないのかよ。」
後ろから誰かが叫ぶ。
「そういえば、どこかのクラス通りがかったとき、お茶かけたら正気を取り戻したって言ってた。」
弱弱しくなった声を振り絞り、代田が叫ぶ。
「それだ!」
教室中の声が揃う。
誰彼構わず荷物を開けると、飲みかけたペットボトル入りのお茶が出てきた。
中には進んで提供する者もいた。
片っ端から蓋をあけ、頭から浴びせる。代田の体はいろいろな種類のお茶にまみれた。
そして念のため、北見は最後の1つを代田に飲ませようと手渡す。
その時、代田と手が重なった。
「今、思ったんだけどさ、おまえどうして感染したってわかった?」
「奴らと手がぶつかったんだ。その時は何ともなかったけれど、2~3分位で気持ち悪くなってきて。そしたら、体の中に凶暴な人格が入ってきた感覚に襲われて・・・。」
「皮膚感染。」
傍にいた中嶋が口を挟む。
「畜生!」
慌てて、教室の向かいにある廊下の手洗い場へと駆け出す。お茶はすべて使い果たしてしまった。お茶をかけたときに手が濡れていたとはいえ、同じ症状が現れるのは時間の問題だろう。
幸い、廊下には誰もいない。
周囲に注意しながら、ハンドソープに手を伸ばす。
すると、遠くに徘徊を続けていた感染者が見えた。
襲われたときのことをシュミレーションする。皮膚感染とわかった以上、素手での攻撃は危険だ。何かあったときは蹴りで応戦か。教室に篭城するか。
迷っている間にも、北見と感染者の距離が近くなる。
だが、彼らは何かを呟いているようだった。
反対側に気を配りつつ、耳を済ませる。
「ラベンダーの匂い・・・。近づけない・・・。」
思わずハンドソープを見る。ラベンダーの文字。
急いで泡を落とし、両手を鼻に寄せて匂いが染み付いたことを確認すると、ハンドソープを片手に教室へと戻った。
「おい、コイツを手にかけろ。奴ら、ラベンダーが弱点だ。」
クラスの一人に投げる。
すると、ほぼ同じタイミングでゾンビウィルスに感染した、知らない顔の男子生徒が北見と逆側の扉から2人も入ってきた。
廊下で出くわしたのとは違う。おそらく別ルートからやってきたのだろう。
弱点がわかったこともあり、北見は率先して両手を前に突き出し向かっていく。
感染者達は顔を歪ませて後ずさり。
ハンドソープのコーティングを終えた同級生も、その効果を見て少しずつ加わってきた。
しかし、感染者達も助太刀要員として、次々と逆の扉から入ってくる。
万事休すか。
突然、北見の脳裏に昔流行ったノリの良い曲が頭を流れる。
反射的にそのまま口にする。
カラオケ好きな程度で、正直、熱唱する以外大してうまくはない。
中には突然気が狂ったのかと唖然とした視線を送る者もいた。しかし、一人、二人と同調してくれ、遂には大合唱となった。
次第に笑みがこぼれる。
全員にハンドソープが行き渡り、本格的に交戦が始まった。
物を投げる者もいれば、机の上から蹴りを食らわせる者もいる。
北見も例に漏れることなく、必死で応戦した。
この間、眼に映る光景がすべてスローモーション。脳内に流れるバックミュージックはさっきまで歌っていた曲。嘗てCDで聴いていたときと同じ音源が駆け巡る。
もう少しで追い払えると思ったその瞬間、窓から強烈な閃光が走った。
まぶしい!!
北見が眼を覚ますと、全員が床の上に倒れていた。
今まで気を失っていたようだ。
半身だけ起こし、しばらく様子を見ていると、周囲も序々に起き上がってきた。
遅れて、感染者達も目を覚ます。
身構えていると、どうやら正気を取り戻したらしく、
「ここは?」
「一体何が?」
と、口にし始めた。どうやらさっきまでの状態を全く覚えていないらしい。
その後、午後の授業はすべて休止となり、そのまま集団検診となった。
しかし、どの生徒にも乱闘で軽症を負った以外は異常は見つからず、そのまま大事を取って1週間休校となった。
最初に感染したといわれる生徒も、体育館で遊んでいたときに突然おかしくなったらしく、直接的な原因が見つかることはなかった。
休校になっている間、当局やマスコミがごった返していたようだが、何一つ掴めないまま、事件は闇に葬られた。
これは後日談となるが、お茶がワクチン代わりになったのは、別のクラスでは偶然にもラベンダー入りのお茶を持っている生徒がいたためらしい。代田自身はというと、ラベンダー成分の入ったお茶を飲んでもかけてもいない。強いて言うなら、正気を保っている間に塗りつけた両手のハンドソープだろう。後は、彼の精神力の強さと言ったところか。
あれから数ヶ月。
誰も、あの日のことを話題にしなくなった。
何時しか平穏な学校生活に戻っていた。
変わったことといえば、北見が愛用するポータブルプレイヤーに、あの時歌った曲が加わったこと位か。
今日もあと数分で昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。
北見はあの曲を繰り返し口ずさみながら、階段を上っていた。
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