馴染みのバー。
待ち合わせに少し遅れて店に入る。
「双葉。」
カウンターから呼び止める声。
ブランド物のスーツ。茶髪で大きく開いた襟。そして、派手なアクセサリーで身を固めている青年。
外見の通り、彼の職業はホスト。
ただし、私は彼のお客でもなければ、お店に立ち寄ったことすらない。
関係はただの幼馴染。名前は聡太。源氏名は昔教えてもらったけれど、次に会う日までには記憶から消えていた。
家が近所で同い年だったこともあって、幼い頃はよく一緒に遊んだ。でも一時期、声をかけることすら憚られることもあった。
それから約10年。上京を機に、こうしてたまに2人で杯を交わす仲に戻っている。
東京で会うなり、ホストをやっているなんて聞いたとき、本当に驚いた。
元々社交的て気の利く性格だったけれど、まさかそれを活かした職に就くとは夢にも思わず。
両親には"飲食店の接客"と濁して伝えているそうだ。
ただ、その反動で仕事から離れてお酒を飲みたい時間が増えたみたいで、店から2駅ほど離れたこの店に通うようになったらしい。
店の所在を教えてもらったのは、私を含めてごく僅か。
この店は彼にとっての隠れ家。
カウンターには彼以外、誰もいない。手元にはほとんど飲み終わったグラス。既に一人で始めていたらしい。
テーブル席の客は新たな人間が入ってきたことに無関心。おかげで周囲のことを気にせずに話ができる。
「私、いつもの。」
「俺もこれもう一杯。」
新たに出てきたグラスを取る手には、いくつもの指輪がはめられている。
ただし薬指以外。
テーブルの縁に添えられた左手も同じ。
美容師という職業柄、指を飾ることができない私とは正反対。
首にかけた1つが指の代わり。今付き合っている彼からの誕生日プレゼント。
一方、彼がつけているのは、全てお客の女性からもらったもの。自分の給料では到底買えないものばかり。
しかも、どれがどのお客さんからのものということまで逐一記憶しているというのだから、ある意味マメである。
いつだったか聡太が言っていた。
「薬指は素の自分を見てくれる人からって決めてんの。」
あの時はかなり酔ってて、いつもより饒舌だった。自分でこんな暴露をしていたなんて覚えていないだろう。
常連の女性達だってきっと知らないこだわり。
「双葉?話、聞いてる?」
「え?うん。聞いてる。」
怪訝な顔をして横から覗き込まれる。その瞬間、ホストの一面が垣間見える気がして思わずドキッとする。今はただの幼馴染と飲んでいるはずなのに。
「そうかなぁ。最近、彼氏と上手くいってないとかじゃないの?」
ちょっとしたことで心配してくれるのは、正直嬉しくもあり、時に煩わしい。
でも、その心遣いは彼氏以上だ。
「大丈夫。倦怠期に入ったけど、何とかやってるから。」
実際、昔ほどお互いに干渉することはなくなった。それでも危機感を感じたことは一度だってない。正直なところ、私は今くらいの距離で付き合うのが一番だと思っている。
「そう?双葉がそう言うのなら追求しないけどさ。」
引き際を知っているのは、接客業の賜物か。昔は何でもないと答えるほど、ムキになって食いついてきた。おそらく、色々な人と触れ合う仲で身に着いたものだろう。
「そういえば、聡太こそ最近はどうなのさ。」
会話が途切れるのが嫌で、咄嗟に出てきた言葉。あまり聞いてはいけないとわかっていつつも、心のどこかでは聞きたくて仕方なかった。
「俺は相変わらず。お店の中で知り合った女の人は、どんなことがあってもお客さん。彼女達が恋愛の対象としてみてるのは、お店のホスト。俺はそれに答えて接客するだけ。営業時間外の俺に興味なんて持っちゃいないさ。」
その語尾は、まるで独り言を呟いているようだった。
私からすれば、中指の先ですら触れることのできない、遠くはなれた華やかな空間。その空間の中で働く幼馴染。
なのに、彼の言葉の節々からは寂しさしか伝わってこない。
汗をかいたグラスで一口だけ喉を潤すと、何かを思い出したかのように主張を続けた。
「お客さんは確かに大切だけどさ、気がつくと"この女性と恋仲になることはないな"って冷めた目線になってる。ホストの間は格好良い自分を演出してるけど、それ以外の格好悪い部分もひっくるめて、全てを知ってもらった上でないと付き合えないんだよね。」
全く理解できないわけではないけれど、それじゃ面白くない。今まで知らなかったことを知ることの積み重ねが、二人の間に深みを増していくのに。ある程度距離があるうちに何もかもがわかってたら、もっと近づこうと努力する意味がない。
もっと言えば、私だって、聡太を完全に理解なんかしていない。
それ以前に、昔みたいに自分のこと、あまり話さなくなっているのに。
心の中から湧き上がる憤りを抑えてるうちに、ある事実が頭をよぎった。
そういえば、東京に来てから、聡太の薬指が光ったのを見たことがない。
昔は、照れ笑いを堪えながら制服の裾からさりげなく見せる姿に、こっちが我慢できなくて吹き出したこともあったっけ。
きっと、擬似恋愛を繰り返すうちに、恋愛に至るまでの過程をどこかに置き忘れてきちゃったんだね。
もうすぐ閉店時間。
立ち上がって財布を取り出そうとする彼に、一言だけお節介。
「仕事以外ではもっと自分を出しなよ。」
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