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2007年8月

鮮華の夜

空が紺色に染まりかけた頃、遠くで乾いた音が弾けた。
少し間をおいて、大輪の花が咲く。

あ、始まった。

夕方から平屋根の上にシートを敷いて、打ち上げが始まるのを待ってた。
ここは3階建ての寮。もちろん学校の。
加えて、ここは女子校。校舎は人里離れた小高い丘の上に立ち、敷地の隅に全員が寝食を共にする寮が3棟立ち並ぶ。
周囲は高い塀で囲まれ、特別な用事がない限り、外には出られないことになっている。

この国の制度では、6歳から18歳までが義務教育期間。例外もあって、飛び級もあれば、留年もある。実際、私は2年飛び級していて、現在最終学年。ただし、飛び級して卒業する場合は、秋から始まる卒業判定試験に通らなければ卒業できない。でも、普通に進級していく場合は無条件に卒業できる。飛び級した場合は、本当にそれだけの力があるのかを試すというのが名目。
飛び級自体、5年に1人いるかいないかだから、試験に関する情報は噂程度でしか伝わってこない。

今は夏休み。生徒の殆どは帰郷している。残っているのは行き場のない数人だけ。とはいえ、私は別に家族と絶縁したわけではない。帰ろうと思えば帰れる。けれど、ここ数年は、何かと理由をつけて寮に居座っていた。

ここを見つけたのは一昨年のこと。屋根裏部屋から屋根に抜ける経路を偶然見つけて以来、花火が上がるこの夜だけは、ここで過ごすことにしている。


花火が上がるのは、この丘の下にある町の向こうを流れる大きな川から。
連続で咲いては散っていく鮮やかな花々に心を奪われる。
途中、打ち上げが止まる。我に返って辺りを見ると、日もすっかり暮れ、星が点々と煌いていた。

しばらくの間をおいて、後半戦が始まる。
今度はハート型や蝶など、ところどころで変り種が飛び出す。
去年まではなかった珍しい形を見つけるたびに、胸が躍る。

屋根の上で1人興奮していると、背後から声をかけられた。

「やっぱりここにいた。」
声の正体は、親友、ルリ。
同い年で、入学当時から5年間は同じ部屋だったこともあって、昔から何でも言い合う仲。
屋根までの道を知った翌日、他の誰にも言わない約束で、彼女にだけ教えた。ここに一緒に来たことはなかったけれど、まさか覚えていてくれたとは。
両手にはジュースが入ったビンと2人分のグラス。

「隣、座らせて。」
私が何も言わないうちに、右側の空スペースに腰を落とすと、グラスにジュースを注ぎだした。

「でも何でここに?帰ったんじゃなかったの?」
私が知る限り、毎年夏休みの始まりと同時に実家に帰っていた。もし今年に限って寮に残っていたとしても、夏休みが始まってからは一度も会ってない。

「両親が昨日から旅行に行っちゃってて、家にいるのがつまらなかったから戻ってきちゃった。寮長の許可は取ってるから大丈夫。それに、もうすぐ学校も始まるしね。」

飲みきったグラスにおかわりを注いでいると、一番答えたくない質問が飛んできた。
「そういえば、カナはどうして実家に帰らないの?」

ジュースが気管支に入ってむせる。咳き込んでいる私にさらに畳み掛けてくる。

「だって、夏と冬の長期休み、全然帰らないじゃん。昔はよくお土産を交換したのに。」

興味津々の目で訴えてくる。今まで誰にも言ってこなかったこと。少し迷う。でも、彼女なら家のこと知ってるからいいか。
頭の中で一通りシュミレーションをしてから口を開いた。

「今、家ね、兄が2人とも帰ってきてるんだ。」
何年前だったか忘れたけれど、ルリは一度夏休みに家に来たことがある。そのとき、2人の兄にも会っている。
兄2人とは歳が離れていて、物心ついた頃には既に全寮制の学校に入れられていて、家にいなかった。だから、休みの度に会う、親戚の人と同じような感覚だった。
それから時は流れ、2人とも1年飛び級で卒業して、その上の学校に進んだ。そこでさらに3年間。今となっては学者の卵として親に敷かれたレールの上を順調に歩いている。

「家に優秀な兄2人が両親の助手として帰ってきたの。1人ならまだしも2人もよ。で、劣等生な私は合わせる顔がないってわけ。」
「劣等生って、また自分を卑下する悪い癖。いい加減に治したら?」
マイナス思考になる私をいつも指摘してくれる。
でも、私がなかなか治せないのは、一時期病気になったのが原因で授業が全く受けられなくて、2年留年した過去があるから。両親は何も言わなかったけれど、兄達はここぞとばかりに『一家の恥だ』と叩いてきた。それまでは4年飛び級してた私が面白くなかったんだと思う。こんな言葉、両親にも投げられたくはないが、ほとんど一緒に生活してない、血の繋がっているだけの他人に言われる筋合いはない。
ここ数年の出来事が一度に蘇る。幾つもの思い出したくない出来事が一度にフラッシュバックする。平然を装いたいのに、シートの上に置いていた手に力が入る。


「そうだ。カナは卒業後はどうするの?上に進むの?」
突然話題が変わる。きっと、これ以上同じ話題を続けられないことを悟ってくれたのだろう。私もそれに同調して、気分を変える。

「卒業後?旅に出るつもり。本の中でしかなかった世界を実際に見に行きたくて。その後、気が向いたら進学かなぁ。」
ルリは一瞬驚いていたが、すぐに納得の表情を見せた。
「旅・・・かぁ。実は、進学はないかなぁって思ってた。『我が道を行く』のがカナだから。旅っていうのにはびっくりしたけれど。」

「卒業後のことは去年からずっと考えてた。きっかけは去年の花火。今もそうだけれど、あの頃も既に海の向こうの遠く国では戦争が繰り広げられていて。そこでは大量の火薬が使われているでしょ。でも、目の前の花火にも火薬が使われている。使い方はそう対して変わらないのに、効果はまったく正反対。」
ルリは無言のまま、時折相槌を打つ。

「でも、進学した後にやることといったら、『社会と技術の発展』に貢献するための研究。社会ってあそこでは国力のことだから、戦争に勝てる研究はできても、花火をもっと綺麗に見せる研究は役に立たないから切り捨てられる。それだって、技術の発展に十分に繋がるのに。学校の外のことなんて何一つわからない環境で育ってるのに。そんな世間知らずの頭でっかち養成機関に入るよりは、同じ時間を有意義に過ごそうと思ってね。」

「それってつまり、家族と同じ道は歩かないってこと?」
図星。後半、ストレートに言い過ぎた。

「でも、絶縁するって意味じゃないから、心配しないで。」
「それならよかった。私には止める理由なんてないから。」
安心しきった表情で、最後の一杯を私のグラスに注いだ。


「花火、終わっちゃったね。」
真っ暗になった屋根の上に、小さく明かりを灯し、片付けを始める。

「カナ、来年もこの花火を見ようね。」
少しの間、理解に苦しんだ後、自分なりの解釈をぶつけた。

「私はここよりも、もっといい場所を探すけどね。」

私達は小さく指切りをした。

晩夏慕情

8月、それも下旬に帰省するのは本当に久しぶり。
帰省ラッシュと重なるのが嫌で毎年避けてきたのに、今年は仕事の都合でこの時期しかとれなかった。


実家に帰ってきての2日目。
特にこれといって行きたいところもなく、家で暇を持て余していると、ポケットに入れていた携帯電話が鳴り出した。
名前を見るやいなや、あわてて取る。

「今日の夜、お祭りあるんだけど、行く?」
「行く!」

芽衣からの電話だ。
彼女とは小学校からの付き合いで、よく一緒に遊んだ仲。
高校卒業後、彼女は地元に残り、私は上京した。

それからも帰省の度に会っていた。
もちろん今回も、休みが決まった瞬間に、彼女に日程を教えていた。


夕方。
先月のバーゲンで買ったばかりの真っ白なワンピースに身を包む。
こんなことなら浴衣をもってくればよかった。

待ち合わせはお祭りが行われている神社の鳥居前。
家族連れ、カップル、友達同士。
普段は閑散としているにもかかわらず、今日に限っては、多くの人でごった返していた。

「夏音、こっち。」
左手で袖をつまみ、右手をひらひらさせて私を呼ぶ芽衣の姿が見えた。
黒を貴重とした浴衣が、今までの彼女にない大人らしさを醸し出している。

「ごめんね、待たせちゃって。」
「うぅん。行こう。」

境内に続く石畳。両側には様々な種類の屋台。
金魚すくい、綿菓子、カキ氷。
そういえばここ数年、花火大会には行ってたのに、縁日は全く行ってなかった。
幼い頃はよく親の手に連れられて、飽きるほどいろいろなところに参加してたのに。
久しぶりに見かける光景にもかかわらず、そのどれもが新鮮に感じる。思わず屋台の一つ一つに夢中になってしまう。

「あ。」
いつの間にか芽衣がいなくなっていた。
屋台ばかり見ているうちにはぐれてしまったようだ。

肩にかけていたバッグに手を突っ込み、携帯電話を探す。
家を出る前にも確かめたから、絶対に入っているはず。
屋台の隅に逃げて、バッグの中をかき回す。
下の方に入っているものを押しのけているうちに、硬くて四角い感触に指が当たる。
その形状から、確信を持って掴み取ったちょうどそのときだった。

「高瀬?」
振り向いた先に立っていたのは、中学の同級生、塚口だった。
バッグを抱えたまま声を失う。

「よっ!」
浴衣から伸びた左腕を先を軽く振る仕草は昔のまま。顔はそれ程変わっていないのに、体つきは見違える程がっしりとしている。

そして、右手の薬指にはひっそりと輝く指輪。ついつい見てしまう。
大人の恋愛というものを意識してしまう歳になったこと、10年前に密かに意識した時期があったこと。
彼とは同級生以上の関係になってさえいないのに、喉の奥でもやもやした、複雑な感覚に襲われる。

「1人?」
「友達と来ていたんだけど、はぐれちゃって。」

その後、二、三言交わすも、どうしても一点に意識が行ってしまう。
それを隠すために、ずっと握っていた携帯電話を取り出す。

「待たせちゃいけないから、そろそろ行くね。」
本音はもう少しこの場にいたい。けれども、彼とあまり面識のない芽衣には見られたくない。彼女の顔が浮かんだ瞬間、誤解されることが怖い。

「俺も。じゃあ、またな。」
そう言って、彼は人込みの中に消えていった。
完全に見えなくなる寸前、彼に寄り添う小柄な女性の姿が見えた。指まで見ることはできなかったが、きっとおそろいのものをしていただろう。


無言で見送っていると、後ろから芽衣の声。
「夏音見っけ。」

外見は歳を追うごとに『綺麗』という言葉が似合うようになっているのに、性格は相変わらず無邪気のまま。
尚且つ、いつの間にかわたあめを買ったらしく、美味しそうに頬張っている。

「わたあめ見てたらお腹空いてきちゃった。私も何か買おうかな。」

再び屋台めぐり。
その間、昔話と同級生の近況で花を咲かせた。
当然のことながら、芽衣の口から塚口のことが語られることはなかったが、人とすれ違うたびに彼を探してしまった。
結局、お祭りが終わるまでずっと歩いていたが、足が痛くなっただけで、彼を見かけることすらなかった。


中学を卒業してから、彼以外の男性にも恋した。その中には実際に付き合った人もいる。生憎、今はいないけれど。
あの頃に比べればいろいろな男性に出会っている。それでも彼を見ただけで反応してしまうのは、付き合い出して知った現実よりも、いいところしか見えない恋心の方が、記憶に色濃く残るものなのだろう。
現実より理想が勝ってしまった一種の矛盾にクスリと笑う。

自分の中で導き出した答えに笑いそうになる私に、怪訝な顔をした芽衣が隣から顔を覗き込む。
「急にどうしたの?」
「なんでもない。昔のことを思い出しただけ。」

もうすぐ8月が終わる。夏特有の暑さは残っても、秋はすぐそこまで来ている。
来年の夏こそは、彼に劣らない、おそろいの指輪を付けた人と境内を回りたい。

展望がはっきり見えたところで、もう一度、今度は芽衣に悟られぬよう、こっそりと笑みを作った。

傍観道楽

昨日から続く炎天下。

向かいのビルには天気予報を表示する電光掲示板。
黒地にオレンジ色で描かれた『39℃』の文字が踊る。
その正体は無数の電球によるものだが、あの色合いだけでも、極寒の地と衛星中継したら、そこに住む人にもここの暑さを伝えることができそうだ。

そして、ここ一帯は、高層ビルが所狭しと立ち並ぶ。
公園以外の空き地には次々と建設予定地の看板が立ち、完成予定図通りの建物を作るべく、急ピッチで推し進められた。
平面に開拓できないなら、次は立体的に。
発展した技術力に比例して、発想の転換の幅も広がったようだ。
おかげで海風が入らなくなり、『ヒートアイランド』なんて味気ない言葉で呼ばれる始末。
こんなものが建つ前は、『真夏日』っていう、まだまだ季節を感じる表現で済まされていたのに。

立地条件や気候を考慮するという点では、機械がなかった頃の人の方が勝っていたと思う。
もしその当時の人が携わっていたら、もう少し快適な夏になっていたかもしれない。

それに、こんなに高い位置から人間が街を見下ろせるまでになるなんて。
ずっと僕の専売特許だったのに。
ここで日夜働くどの人間よりもずっと昔から。


人間は僕みたいな奴のことを『天使』って呼んでるらしい。
ただし、僕らは同胞のことを『天使』なんて神聖な言葉で括ったことは、一度だってない。

でも、僕は人間が思っているほど、大層なことはしていない。
神様からの御遣いなんて役目、そう滅多に受けることはないし、そんなにエライ身分でもない。

僕は興味ある一人を見つけては、その一日を、遥か上からぼんやり眺めているのが好きなだけ。
特に、物事が上手くいっていない人間が立ち回りなんて、世界のどこかで作り出されたどんな喜劇よりも興奮する。

以前は10階建て位のビルを見つけては、屋上のフェンスに腰掛けるだけで、十二分に満足できる時間が過ごせた。
幸い、暑さを感じる肌なんて持っていないから、日照時間を気にすることなくいられる。
屋上に誰かやってくるなんて滅多にないし、仮に来たとしても、大抵は僕の姿を眼中に収めることができない。
なのに今や、これと同じ高さのビルに行っても、それよりも上の階に拠点を置く人間が増えてきた。
人間よりも低いところにいるなんて、不快極まりない。
僕は常に見下ろす立場でいたいんだ。

加えて、僕らは人間に姿を見られることを禁忌としている。
稀に、僕らの姿を捉えることができる奴がいるとのこと。
詳しくは知らないけれど、想像を絶する罰則に耐えなければならないらしい。
背中に白い羽が生えている以外は、対して変わらないのに。

もっとも、僕はその羽を人間なんかに見せる気なんてない。
気配を感じたら、どんなに面白い展開であってもすぐにその場を立ち退く。
僕自身で決めたルール。
僕だけの楽しみを自分のヘマで奪うなんて馬鹿げた真似、絶対に避けねば。


やっと今日のターゲットを見つけた。
トラブルが起きたみたいで、顔面蒼白になっている。
あの様子だと、解決までに数日間はかかるだろう。

特等席は向かいに見える一つ飛びぬけたあのビル。今のところ、屋上には誰もいない。
せっかく僕が見てるんだ。
せいぜい、楽しませてくれよ。

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